わしなりに考えてみた

まじめなことも、ネタも

君の名は。をなぜつまらないと感じるのか

**君の名は。スターウォーズのネタばれ含む**

 

君の名は。を今更ながら分析していきたいと思います。

やろうやろうと思いつつ、なかなか腰が上がりませんでしたが、先日ベルリンに

旅行した時に、町の歴史ツアーにいったんですね。そこでそのツアーガイドさんが見事で、おかげでベルリンの有名スポットの歴史的な意味を知れてとても有意義な旅になりました。それで感じたのが何かを解説してそのものの意味を教えることって素敵な行為だなと思いました。だって、それを知らなければただ通りすぎていただけかもしれないものが、自分に何か影響を与えるものに変わってしまうわけですから。そのもの自体は変化していないのにただ情報を付与しただけで。これって一種の魔法ですよね。

ということで、今回君の名は。に情報を付与していきたいと思います。

これでもし君の名は。がさらに面白く見れて、また面白く思わなかったって人が、面白いと感じていただかれば幸いです。

 

君の名は。ってすごく面白いって感じた人もいれば全然だったって人もいると思います。この違いはなんなのかっていうと、単純に音楽や絵や表現技法の好き悪しってのもあると思いますが、きっと見ている視点の違いってのが大きいと思います。視点ってどれを選ぶかは個人の自由で正解とかはないのですが、視点一つ変えるだけで印象が180度変わったりします。なので、視点をたくさんもっていれば色々な見方ができて、今までつまらないと思っていたものが面白くなったりします。なので今日は新しい視点を共有したいと思います。

 

 

君の名は。は何を描いた映画なのか。この解釈の違いがこの映画の評価を二分すると思います。

ある人は恋愛がテーマだと言います。ある人は震災がテーマだと言います。

ただ、ぼくは個人的にこの映画のテーマは「使命」であると感じました。

 

この映画の影の主役は宮水家のご神体であり、それが三葉と瀧に糸守町を救うという使命を与えたのです。そしてこの映画はその使命を二人が困難を乗り越えながら遂行して

いく様を描いているのです。

人は潜在意識では自分の使命、生きる意味を探していて、それを成し遂げたいと思っているそうです。なので、使命を描いた映画というのはたいてい人の心を無意識に打ちます。だから君の名はヒットしたんだと思います。スターウォーズなんかもそうですね。

 

この映画の構造を見ていきます。この映画はよくある神話的構造をしています。神話的構造とは、ヒット作品がほぼ必ず有する構造で、遠い昔から人々を魅了してきた構造です。その構造は簡単に言うと以下のようになっています。

 

1.日常の世界

2.冒険への誘い

3.試練1

4.仲間との出会い

5.最大の試練

6.報酬

7.帰路

8.復活

9.帰還

 

(7の帰路のところで主人公は罠にあったりして死んでしまうのですが、奇跡の復活を遂げて帰還するというストーリーです。キリストが処刑された後にイースターの日に復活するみたいな)

 

さらに簡単に言うと、日常にいる主人公がある日冒険に誘われて、なにか使命を帯びます。そして困難に直面して一度は失敗するものの、何かの武器を得てその困難を乗り越え、使命を達成して何か報酬を持ち帰ってくるというストーリーです。桃太郎が鬼ヶ島にいって鬼を退治してお宝を持ち帰ってくるみたいな感じです。

 

君の名は。は主人公が二人いるので複雑ですが、二人で一つと考えれば、

1.普通に高校生活を送っている

2.突然互いに入れ替わりが始まる

3.入れ替わりができなくなる(ティアマト彗星の接近による三葉の死)

4.瀧は三葉を探しに行き、ラーメン屋のおじさんに出会う

5.三葉の死を知り、過去に戻って避難させようとする

6.三葉の父を説得しようとするが失敗

7.三葉と瀧の再会

8.説得に成功

9.街は救われる

10.二人は入れ替わりの記憶を失う

11.街ですれ違い、思い出す

 

完全には上の神話の法則の流れにそっていませんが、だいたいこんな感じです。

 

 

映画の肝は実は最大の試練に直面した時に、それをどう乗り越えていくか(その武器はなんであるか)だったりします。ここが一番盛り上がるシーンだからです。

例えば、スターウォーズだったら最大の試練はダースシディアスとの対決で、そこで親子の愛でダースベイダーが我に返り、シディアスを倒します。

 

君の名は。ではここで二人の愛がその武器になります。最大の試練は三葉の父の説得です。そこで、三葉は瀧と片割れ時に再会した後に父のいるところに全力で走っていきます。けれどその道は長くて、途中で転んでしまって、くじけそうになるわけです。しかし、その時に手のひらに書かれた「好きだ」という文字を見ます。ここで三葉は精神的に回復して、無事父のもとにたどり着くわけです。三葉の目には街を救う使命感+瀧との一体感による強い光が宿っていてそれが説得に繋がりました。

 

ここで瀧のこの好きだという文字を名前を書こうと言ったのにも関わらず書いた行為ですが、ここの解釈がこの映画の評価の明暗をわけると思います。

一見すると、ありきたりなラブストーリーでありそうなきざな行為でむっとするという方もいると思います。ですが、この行為はかなりのファインプレーなのです。この行為は糸守を救うために必須の行為でした。なぜならもし名前を手のひらに書いたらその文字は消えてしまうからです。ケータイの日記の内容が全部消えてしまったことから分かるように、互いの入れ替わりを示唆する証拠を残すと消されてしまうという制限条件が二人の入れ替わりにはあります。おそらく瀧はそのことに気づき、片割れ時が終わってしまったらまた二人は二人のことを忘れてしまうと考えたのです。つまり、いまこのメッセージが二人の間の最後のメッセージになると。そんな中、彼が最も伝えたかったこと、それは好きという気持ちだったわけです。だけど、それを直接言うような雰囲気でもなかったでしょうし、きっと直接言っても記憶から消えてしまうでしょう。だから手のひらに文字として残すことに決めたのです。照れ隠しとして、名前を書こうと偽りながら。

 

もし、瀧が好きだと書いていなかったら、きっと三葉はくじけてしまって父の説得に失敗していたでしょう。つまり、瀧の三葉を思う強い気持ちが、街を彗星から救う結果となったのです。そしてこれはご神体の意思だったわけです。ご神体はこうなるように仕向けていたわけです。ご神体は三葉という女の子と瀧という男の子をわざわざ選び、入れ替わりをさせたわけです。もし三葉とちびまるこちゃんが入れ替わっていたら、二人はただのメル友で終了していたわけでこの奇跡は起きなかったのです。

 

抽象的に言うと、ここで起こった出来事は男性性と女性性の融合です。映画の中では結びと言われてます。これは日本神話の中で特有の考え方で、古くから描かれている事柄です。(女神イザナミ男神イザナギが交わって大地が生まれたという話です)つまり日本人にとっては無意識的に心に響くことなのです。化学では二つの互いにことなる物質を反応させるとその成果物はより安定して、エネルギーを放出します。これは物事全般に言えることで、悟空とベジータフュージョンだったり、坂本の龍馬の薩長同盟だったり、村上春樹海辺のカフカみたいな小説のスタイルだったり、異なる二つを融合させて新しい素晴らしい何かを作ることは日本人にとっては自然で得意としています。そしてこれは日本の誇るべき文化です。君の名は。もその構造を取っています。神話は神様のストーリーなので、日本の宮水のご神体が男性性と女性性の融合により、糸守を救おうと考えたことは極めて自然なことです。

 

瀧の、すきだという文字には、実はこれだけの情報量が内包されてたりします。これを知るときっと君の名は。の見方が変わってくるんじゃないでしょうか。

 

そして最後にぼくの考えを述べると、この映画は愛のすばらしさを表現しようとしたのではなく、人が使命を達成していく様を表現しようとしたのだということです。愛は使命を達成するための重要なパートでしたが、全体を通して言いたかったのは使命であると。ぼくはこの使命を描いた映画大好きです。スターウォーズも大好きです。

 

君の名は。はまだまだ色々面白い側面があるのですが、今日一番言いたかったことは言えたので、この辺で。

 

読んでいただきありがとうございます。

 

 

便座 ~ハニーとボクと、時々オトン~

オランダ人はケチだという話はかねがね聞いていた。

そしてそれは本当だった。

 

オランダ人の女の子と喋っていた時のことだ。

彼女が日本のことについて尋ねてきて、話は日本のトイレの

話に切り替わった。彼女の父親は以前、日本に来たことがあるらしく

彼女に日本のトイレの思い出話をしたそうだ。

「日本のトイレの便座は温まっているんだよ、ハニー」

 

彼女はぼくに尋ねた。日本のトイレの便座が温まっているのはたまたま

そのトイレが特殊な仕様だったのか、それとも日本全土において

そうなっているのかと。

 

ぼくは答えた。日本全土においてトイレの便座は温まっていて、それだけじゃなく

ウォシュレットというおしりをシャワーで洗い流してくれる装置まで備わっているんだと。

 

そして彼女はこう言った。

「いったい便座を温めることになんの意味があるの?私がもしトイレを使ったときに便座が温まっていたら、きっと前の人が長時間座っていたんだなと思って不快な気持ちになるだけだわ。」

 

ぼくは言葉を失った。

まず、ぼくは温まっている便座にいつも快適さを感じていた。トイレで用を足すときの

あの( ´ー`)フゥー...っていう解放感。その時に感じる便座からの温もり。

これはお風呂に浸かる感覚に似ていて、トイレをただ用を足すためだけの空間ではなく、トイレを安らぎの場として再定義しようという先人の努力の結晶だ。

古くは秀吉の時代から、人が肌に直接触れるものを温めておくというのことは日本では美徳とされてきた。もしこの感覚を日本人が共有していなかったら、秀吉は天下を統一していなかっただろう。そしたら今ある世界はもっと違った形になっていて、ぼくだって生まれていなかったかもしれない。

それを彼女は前の人が長時間座っていたんだなと思って不快な気持ちになるだけだわと一蹴したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

違う。

便座は温まったのではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

便座はわざわざ温められたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

便座はきみをもてなそうとしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その気持ちを彼女は踏みにじってしまった。

 

 

そして彼女は便座に込められた温かい思いに気づかぬままに話を思わぬ方向へと発展させた。


「それにあなたの国は人口が何人だっけ?日本全土でその便座を温める機能を廃止したらいったいどれだけの電気代が浮くと思っているの?」







ぼくは驚いた。便座の思いを踏みにじられ、憤りを感じていたのもつかぬ間、このオランダ人の女学生に畏怖の念を抱いた。

 

彼女はぼくの日本のトイレの話を聞いただけで、日本経済の行く末を論じたのだ。

 

普通、常人ならばトイレの話を聞いたら誰もがトイレの個室を思い浮かべる。そして思考はその便器を中心に渦巻く一つの宇宙、一つの個室の中に閉じ込められてしまう。しかし、彼女の思考はその個室からはるか上空へと飛び出し、日本全土のトイレを俯瞰したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一は全。全は一。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トイレ一つにそれだけのお金を投資するということは確かに日本全土で換算すれば相当の金額になるだろう。トイレの便座に対して電気代を払うのはあくまでも個人である。

だから私たちは日本全土の便座の電気代に目を止めたことはないだろう。

しかし、彼女は日本人一人一人が日本人として、日本経済に影響を及ぼしていることをここで示唆したのだ。我々に日本人であることの自覚を促したのだ。

 

なんという慧眼か。

 

 

これがオランダ人の一介の女学生の力なのか。

だとしたらもっと上のレベルの人はどれくらいのケ........

 

 

 

帰国子女でもないのに英語を話せる人は何が違うのか

この記事は、英語の会話力をつけたいと思い、勉強を始めたばかりの人向けに書いています。

 

 

高校入試レベルの文法、大学入試レベルの単語力がある人であれば、ぼくのいうやり方で最短3ヶ月で外国人とコミュニケーションが普通に取れるレベルになると思います。

何年も勉強してできなかったものが、三ヶ月です。

ものごとは正しいプロセスを踏むと嘘みたいに順調に進んでいくものです。

 

何事も最初が一番乗り越えるのが大変で、わからないことだらけで、投げ出したくなっちゃう時期だと思います。

この記事が、そんな最初のステップを超える励みになればと思います。

 

 

 

 

ぼくは高校生の時は、英会話はぜんぜんできませんでした。

大学に入ると、留学生がたくさんいて、初めて外国人と話す機会に恵まれました。

外国に興味津々だったぼくは、彼らに話しかけてみまくりましたが、そこで自分の英語力の無さを痛感しました。

学校では英語の成績はかなりいい方で、自分は英語ができる方だと思っていましたが、実際に外国人と会話をする能力はほとんどないに等しく、自分の勉強してきたものがいかに方向性のずれていたことだったか痛感しました。

 

このズレというのは、実際に外国の方と関わる機会を持たないと気づかないことだと思います。

 

それから、ぼくは英語を話せるようになりたいと思って、いろいろと努力をしました。

いろんな人の助けを得て勉強していってその結果、現在大学4年生ですが、1年生の時と比べれば相当会話力が上がりました。

 

 

非英語圏の人となら問題なく会話できますが、ネイティヴの人相手だとたまに相手の言っていることが分からないくらい。

英語の子供向けの映画や本は理解できますが、大人向けのものはきつい。

TOEFL ibt で言うと90点台。

 

これくらいのレベルです。

 

ちなみにこれくらいの能力があれば、世界中の人と深いコミュニケーションが取れます。(ぼくは旅をしていたので分かりますが、言葉はなくても人と仲良くなれます。しかし、深いコミュニケーションは取れません。)

 

ぼくが感じたのは現状日本で行われている英語教育というのは、中学生の段階で止まっているというものです。中学生の時に基本的な単語と文法、それからちょっとした会話をする。ここまではいいと思うんですが、高校で本来発展させるべき基礎を発展させず、いたずらに受験文法の習得に時間を割いている。

 

なので、日本人が英語を話せるようになるには、中学の時に学んだ知識を正しい形で発展するように自分で何かしらする。それに他ならないと思います。

 

英語がある程度まで使えるようになるのは決して難しいことではなく、正しい順序さえ踏めば誰でもできることです。海外で英語を流暢に扱える人が非常に多い国では、学校教育にそうした正しい順序が組み込まれているはずです。

 

 

端的に言うと、その正しいステップというのは、

基礎的な単語と文法の習得→ネイティブ相手に会話して意思疎通できる感覚を掴む→徹底的に会話

だとぼくは考えます。

帰国子女でもないのに英語を話せる人は、なにかしら継続的にネイティブと会話をする機会を持っていた人たちでしょう。

 

 

そうした経験を持っていない人にとって、これが最短でできるのはフィリピン留学だと思います。

フィリピン留学とは、フィリピンの語学学校に留学することです。フィリピン人はフィリピンがアメリカの領土だった影響で、とてもきれいな英語を話せます。またフィリピンは人件費が安いため、留学費用がアメリカやイギリスに比べて安く抑えられ、またグループ授業が主体の他国と違いマンツーマン授業を受けられるという利点があります。

要するに安く質のいい教育を密度濃く受けられるということです。

 

このためいま韓国、そして日本でフィリピン留学がブームになっているんです。

 

ぼくも実際にフィリピンのバギオという都市に2カ月留学しました。

授業は中学校とかで使っていたような英語の教科書(クミとか出てくるやつ)を使って先生と会話したり、歌を歌ったり、自分で与えられたテーマについて語るとかいろいろありました。辛いとかそういうのはぜんぜんなく非常に楽しくやっていました。(先生達とはマンツーマンなのですごく仲良くなりました)

 

そこで英会話の基礎を徹底して学ぶことができて、今までズレた教育を受けたことを強く実感しました。

 

 

そのズレを端的に表すならば、例えば日本では「私はペンを持っている」

という文は 

I have a pen.

と習いますよね。しかし、ネイティブたちは I have a pen ももちろん使いますが、それと同じくらい 

I 've got a pen.

という表現を使います。

 

実はhaveはhave got とイコールの関係にあり、自由に変換して構わないというルールがあります。一見なんの意味があるのかと思いますが、じつは発音上ハブというよりブガッタという方が便利なんです。これは洋楽とかで本当に頻繁に出てきます。

I 've got a penはちなみに アイガラペンと発音します。

 

日本人は外人がアイガラペンと言ってきても理解できません。

とこんな風にウルトラ基本的でこれを知っていないとネイティブとの会話に苦労するという表現を日本の教育では全く教えてくれませんが、フィリピン留学では教えてもらえます。

 

英会話の本を買ったり、スカイプ英会話を通してこつこつと学んでいくのもいいかもしれませんが、そうした細かい時間をたくさん積むより、二か月間集中して毎日英語漬けにするという経験を積んだ方が絶対に効率的です。(まだ英語がそこまでできない人にとっては)

 

フィリピン留学をし終わって基礎をしっかり積んだあとは、その基礎をどんどん応用していく経験が必要になります。そこで本格的な留学をしたり、海外旅行したり、スカイプ英会話したり、ワーホリしたりとかするといいと思います。

 

ぼくのケースでは、

フィリピン留学→オーストラリアでワーホリ→海外旅→帰国後はちょくちょく外人と遊ぶ

という感じで英語力を上げていきました。もう少し力をつけたいので来年また留学をするつもりです。

 

フィリピン留学について相談とか質問をされたい方がいましたら、下のリンクから中谷ケンイチかもしくは他の方が相談を受け付けているので申し込んでもらえたらと思います。ぼくが実際に留学した語学学校のサイトです。

www.storyshare.jp

 

 

 

 

 

これからの時代、瓶の中の二種類の気体が自然に混ざり合って行くように、地球という瓶の中でどんどん色んな国から来た人が混ざり合って生きていくように なります。

大局的に見れば、クロマニョン人のころからゆっくりと着々と進んでいた地球上における人間のエントロピーの増大が2000年代に入ってようやくある一定のラインに達したという感じです。

 

交通機関の発達、法的障壁の緩和、国力の均衡が進めば、どんどん世界中の人が互いの国を行き来し、自分の生きていきたい国で生きていくという選択肢を取るようになると思います。

 

そんな時代の中、必要となってくるのが英語力です。

さいあく今生きている人達は、英語がなくてもやっていけるかもしれませんが、もし100年後にどこでもドアとかできていたら、絶対英語力ないとやっていけないと思います。

 

 

 

 

 

 

さて、フィリピン留学が英会話を上達させる上で最速の手段であると述べましたが、これからもう少し細かく英会話力を上げるうえで必要になる2ステップを述べます。

 

  1. とりあえず外国人と喋ってみる

なぜ一番最初に外国人と喋ってみるのが最短なのか。

それは、自分のやるべきことが腑に落ちるからです。

このステップを外すと、従来の自分が行ってきた学校教育的な英語学習の延長になってしまい、非常に非効率な道を歩むことになります。

 

 

 

まず勉強をはじめるにあたって、本屋さんで英会話の本とかを買って、まず一冊終わらせよう!というやり方始める人は多いんじゃないでしょうか?

またはインターネット広告とかにでてくる魅惑的な商材を購入したり。。。

 

結論から言うと、これはかなり非効率なやり方だと思います。

 

そういった本が、まったく役に立たないわけではないですが、英会話学習における本筋ではないです。あくまで一助になるくらいのものです。

 

たいてい、一冊やりきれずに投げ出してしまう人が大半ですし、やりきってもそれを実際の会話で使うかといったら疑問だからです。

使わない知識というのはすぐに消え去っていきます。

 

 

 

 

結局英会話において必要なのは、実際に外国人を相手に喋って、自分の言ったことが相手に伝わる感覚、相手の言っていることが分かる感覚を味わうことです。

 

言い換えれば、相手の言っていることが分からない感覚、自分の言っていることが伝わらない感覚を味わうことでもあります。

 

この感覚が英会話におけるコツで、このコツさえつかめば、あとは知識をつけていったり、耳を馴らしたり、発音を良くしたりするだけです。

 

 

 

実際に外国人と喋ってみると、いろいろなことが分かります。

 

外国人といっても、いろいろな国の人がいて、それぞれ訛りのある英語を操るということ。(正しい英語というのは意味をなさないということ)

 

相手の発音が全く聞き取れないこと。

自分の発音が全く伝わらないこと。

意外と単語だけの出川イングリッシュでもコミュニケーションは取れてしまうこと。

相手はこちらのミスなどぜんぜん気にしていないこと。

 

これらの感覚が分かれば、英語学習のハードルはだいぶ下がると思います。

 

 

また、ぼくが始めたてのころ持っていた良くない考えがありました。

 

最初ぼくは英語を話す際に、間違いを恐れていました。

 

正しく正しく、話そうとしていました。

これが日本の英語教育の隠れた影響なんですね。

きっと多くの人が同様の感覚を持っていると思います。

 

 

間違いがあると低い評価がつけられる。

それにより、間違い=悪いという関係が成り立ってしまう。

 

本来間違えることに悪いという意味はなく、それはある判断基準のもとでのただの結果です。

間違いがあるということは、伸びしろがあるということでもあります。

 

けれど実は相手はあなたが文法を間違えることなんてこれっぽっちも気にしていません。意味さえ分かればそれで充分なんです。

 

じっさいあなたが外国人に日本語で道とか聞かれた時に、あいての文法が間違っているとか気にしますか?? 気にしませんよね。ただ一生懸命相手の言っていることを理解しようと思おうとするだけだと思います。

これはぼくらが英語を話す際でも同様です。

 

 

この間違いを恐れる感覚。

これは言語に限らず、ものごとを学習するうえでこの上ないブレーキとなります。

学習とはトライ&エラーの繰り返しであり、その回数が多いほど成長する確率は高まるのに、間違いを恐れる感覚というのはその回数を減らしてしまうものだからです。

 

 

最初に、外国人はこっちの間違いなんて気にしないんだ!

 どんどん間違えて構わないんだ! というかあっちも結構間違えてるしw!

 

ということに気付ければ、あとはこっちのものです。

 

このように、まず英会話の勉強を本格的に始めるさいに、最初に外国人と話してみることで

 

○英語って国によっていろいろあるんだ

○発音って大事

○意外と伝わる

○ミスしてもいいんだ

 

といったことが分かります。

 

 

 

2.ちょこちょこ勉強しない

勉強をする際に、

 毎日30分とかいう感じでこつこつやる人。

 普段は勉強せずに、テスト前とかにどばーとやる人。

この二種類がいるんじゃないでしょうか。

 

どっちにもいいところ、悪いところがあると思います。

 ただ、英会話始めたての人にとっては、後者のどばーっとやるタイプの方が

向いていると思います。

言語学習の早い人はみんなそうしています。

 

机を押して動かす時、最初はすごく力がいりますが、いったん動き出すと最初よりも小さい力で動かせるようになりますよね。

 

これはものごとを始める際にすべてにおいて言えることで、何事も一番最初が一番つらいんです。

 

この最初の障壁というのは物理におけるポテンシャルエネルギーの壁というもので、この壁を超えるためには、物体に大きなエネルギーを加える必要があります。

 

だから、勉強をはじめたての人はみっちりとやった方がいいんです。

ポテンシャルエネルギーの壁を超えるために。

 

 

いったん、壁を超えたあとは、記憶のメンテナンス的な意味でちょこちょこ勉強するのは有効です。

 

英会話の勉強をしていると、自分がある程度の領域に達したなと感じる瞬間があります。あれ、きがついたらなんか普通に外国人と会話してる!みたいな。

 

その瞬間が訪れるまで、みっちりやった方がいいと思います。

 

 

なので、一番のおすすめは語学留学してしまうことです。

3カ月位が望ましいと思います。

 

 

 

ただ、社会人の方だとまとまった休みなんかは取れないと思うので、やるとしたら学生ですね。

そういう意味で、自分で時間を自在にデザインできる大学生という身分は本当に貴重な身分だと思います。将来的に考えて、大学生の時期にやっかいな英語を克服してしまうというのはとても効率の良い戦略だと思います。、

 

 

 

 

まとめると

① とりあえず外国人と喋ろう

② いっきに勉強しよう

 

いうことでした。

 

 

この記事がみなさんの英語学習の一助になりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休学すればいいじゃん

 

 

休学すればいいじゃん

やりたいならやってみればいいじゃん

いつまでもできることじゃないんだから

 

やりたいという気持ちがどこかに行く前に

いけるチャンスがどこかに行く前に

体が元気なうちに。

 

世の中、ものごとを先延ばしにする人の方が多い。

だから、あなたが何か大きな計画を立ててそれを実行しようと

すると大抵、やめとけとかそんなに焦らなくてもいいじゃん

みたいな返事が返ってきてブレーキがかかる。

 

けど、そういうことを言う人っていうのは自分がそうして先延ばしに

してきた人たち。物事を先延ばしにせずに実行して実現していった

人たちというのは、あなたがそういう相談をしたら、すぐやりな、いつやるの、今でしょと返答する。

実現していった人たちは、チャンスはいつまでも目の前に落ちていない

ことをしっているからなるべく早く計画を実行しようとする。

 

 

 

 

ぼくが休学をして旅をした話をすると、

みんなたいてい私もやってみたい!とか

もう少し早くしっていればおれもやりたかったな

とかそんなことを言う。

 

そんな言い訳をしてないでやっちゃえばいいのにと思う。

伊能忠敬はじじいになってから旅をして地図を作った。

 

もう少し早くしっていればとか関係ないと思う。

いつだって本気でやろうと思えばやれる。

 

就職が、一年遅れると親に悪いから。

たいてい出てくるのはそんな言葉だけど、

 

自分に実力があるのなら、雇ってくれる会社は必ずあるし

自分のやりたいことをやることは本当に親に悪いのか

やりたいことをやらない方が子供の幸せを願う親に悪いのじゃないか

お金ならあとで返せばいいし、バイトしながら学費を払ってる人だっているわけだし。

 

やりたいことをやらないことは、ぼくはなにより将来の自分に悪いと思う。

 

中学生くらいの成長期のころは夜更かしばっかすると背が伸びないっていうので

みんなたくさん寝てなるべく背を高くしようと思う。

それと同じで、大学生という時期は心の成長期だと思う。

このやたら自由時間がありかつ感性豊かな時期に、たくさんの経験を積むことは

将来大きくなるために絶対必要なことだと思う。

 

考えてみてくれ。

一年間なんでもしていい時間が生まれるということを。

サハラ砂漠で夜を明かすことも、ベネチアでデートすることも、どっかに留学することも、海外でインターンすることも、自分のやる気次第でなんだってやれるということを。

 

自分の人生を世話するのは自分だけ。

本当に自分のことを気にかけてくれるのは自分だけ。

自分の道を選択できるのも自分だけ。

 

やりたいことをやらない選択をして、いいのだろうか。

 

 

ピカチュウが世界を変えようとしている。

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先日、ポケモンGOというアプリがリリースされて巷が大いに賑わっている。

ポケモンはリリースされるたびに学校では話題の中心となるが、今回のポケモン

ポケモン好きの子供たちや大人だけでなく、学校の先生、経営者、投資家までもが話題の中心としている。

それは今回のポケモンは社会的、ビジネス的に革命的な影響を起こしうるからだ。

 

 

ポケモンGOは、ARとGPSシステムを組み合わせ、ポケモンの舞台を現実世界へと移した革新的なゲームだ。現実世界を歩くと、スマートフォン上にポケモンが表示され、そこでモンスターボールをスワイプして投げるとポケモンをゲットできる。

ゲットしたポケモンは今までと同様に育てて、戦わせることができる。

また、現実世界の名所や学術機関などはポケスポットと呼ばれるアイテムなどを入手できる箇所に設定されていて、そこでモンスターボールなどをゲットできるようになっている。

 

 

一見、この説明だけ読むと、なんだかすごくゲームも進歩したんだなぁと思うだけかもしれない。しかし、注目すべきは技術の進歩に対してではない。

投資家や経営者まで騒ぐのにはわけがある。

 

次に、ポケモンGOが及ぼすビジネス、社会への影響について説明したい。

 

 

 

 

 

1.ビジネスに対する影響

テレビ、新聞、youtubeFacebooktwitterスマホアプリ。

彼らがこぞって争っているもの。

 

それはユーザーのスキマ時間。

 

現代人はスマートフォンの影響で、時間の使い方が従来とは異なり、細切れになっている。通勤中、列に並んでいる間などの細切れ時間、みんなスマホをいじっている。

 

ポケモンGOはそのユーザーのスキマ時間を根こそぎ奪おうとしている。

 

ポケモンの圧倒的な人気に加え、現実世界をゲーム世界の融合という全く新しいゲーム感覚。そして、歩き回ってポケモンを捕まえる必要があるため長いアプリ滞在時間を有すること。これらが影響して、一気に人々のスキマ時間はポケモンにとられる。

あるスマホアプリでは、ポケモンGOリリース当日に、ユーザー滞在時間が通常に比べて70%減少したそうだ。

これはスマホアプリ界隈の人にとっては大打撃。

 

それだけならまだいい。

 

実はポケモンGOマーケティング対象は一般人だけでなく、経営者も含まれている。

じつは、冒頭でポケスポットと呼ばれるアイテムがもらえるスポットが存在すると書いたが、そのスポットは実はお金を出せば購入できるようになるかもしれないのだ。

すでに日本マクドナルドが、マクドナルド全店舗をポケスポット化する方針を定めた。

 

それはどういうことかというと、マクドナルドに行けばアイテムが手に入り、また他のユーザーと対戦もできるようになり、ポケモン目当てに人が集まるということだ。

 

つまり、現実世界の店舗の集客にポケモンが使えるようになるということだ。

 

今はマクドナルドだけだが、そのうち他の企業や、もっと誰でもこれができるようになれば、集客のメソッドが全く新しいものに生まれ変わることになる。

うちの店にはwifi置いてます、と同じ感覚で、うちの店はポケスポですとなるのだ。

いわば客寄せパンダならぬ客寄せピカチュウ

 

そして、そのうちこのゲームユーザー以外も巻き込むというビジネスモデルがまねされ、ポケモンだけでなく他の分野で応用されることで社会が激変する可能性がある。

つまり、現実世界と抽象世界を行き来する感覚が当たり前となるということだ。

 

例えばカーナビの地図上に、ポケモンGOと同じようにコインとかを仕込んでおいて、コインが溜まったらガソリン代10%オフとか。

考えればいくらでも応用はできる。

 

 

 

 

2.社会への影響

全国の小学校では、夏休みにおけるポケモンGOによる事故が心配されているようだ。

スマホをみながら歩き回るため、交通事故の引き金になりやすい。

 

これはポケモンGOの持つ負の側面であるが、いい意味での変化もある。

 

 

それは、人々が進んで外の世界を探検するようになることだ。

 

自分の近所にはいないポケモンを求めて歩き回ったり、友達と一緒にどこどこにレアポケモンが出るから、行こうぜ!みたいな感じで出かけたり。

 

まさにぼくらが小学生の頃に、あそこの木からは樹液が出てカブトムシが取れるらしいいぞ!行こうぜ! と言っていたのと同じノリだ。

ポケモンは人間の狩猟採集本能にのっとって作られているためこのような現象が起きる。

 

大陸限定ポケモンなんてのもいるらしく、ヨーロッパにしかいないポケモンとか、アジアにしかいないポケモンもいるらしい。きっとマニアはそのためだけに旅行したりするだろう。

 

引きごもりがちな人も動くようになるし、運動不足の解消にもなる。はたまた、ポケモンを通して他のユーザーと出会い、友達になることだってあるだろう。

 

ポケモンを作っている任天堂は、プレステを作っているソニーが技術の進歩にばかり力を注いでだんだんと人気を失っていった一方、常にパラダイムシフトをして時代の変化に対応してきた。

 

Wiiを作った時は、ゲームが子供がいたずらに時間を費やす無益なものであり、親はゲームに熱中する子供をしかりつけるというパラダイムを、子供だけでなく、親やおじいちゃんおばあちゃんまでもが楽しめるものという新しいコンセプトを打ち出した。

 

今回のポケモンGOでは、ゲームは家に閉じこもって、じっとしてやるものというパラダイムから、外に飛び出してアクティブにやるものというパラダイムへと移し替えようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、たくさんの影響を及ぼしうるポケモンGOだが、その最も本質的な影響は

現実世界と抽象世界が融合する楽しさ、可能性を世界に示したことだろう。

 

インターネットが登場してから、抽象世界というのはどんどん発展してきた。

ウェブサイトはインターネット上の家であり、ウェブサイトを通してものを販売したり宣伝したり。アバターを作ってネットの世界で人と交流したり。ただ、あくまでそれはインターネットの世界での出来事でしかなかった。

 

現在は現実世界と抽象世界の垣根がだんだん無くなっていっている。

3Dプリンターやグーグルグラスなどに代表される技術革新だ。

 

 

ただ、これらの技術は様々な制約や心理が相まって、人々に絶大な影響を与えるまでには至っていない。

どんなに素晴らしいアイデアや技術も必ずしも世界に広がるとは限らない。

広がるためには起爆剤が必要だ。

 

今回、既存のARと位置情報システムというテクノロジーを圧倒的な知名度を持つポケモンが単なるゲームとしてだけでなく、ビジネスモデルとしても提示したことが起爆剤となり、現実世界と抽象世界の融合がより人々に浸透することになるだろう。

 

現実世界と抽象世界を繋ぐというものすごい感覚を、最も一般の人に分かりやすい形でポケモンが提示したことが、ぼくは意義があると思う。

 

これは人々の人気を長年をかけてゲットしてきた、ポケモンという存在だからこそできることだと思う。まさにドラゴンボールの最終回でミスターサタンの一声でみんなが元気玉にエネルギーを与えて世界を救ったのと同様に、ピカチュウの一声で世界は大きく変わるんじゃないだろうか。

 

それにしても任天堂はゲーム会社なのに、一体世界のことをどこまで考えているんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

学校休んで10カ月間旅して感じた旅の良さ

 

 

さて、今日は「旅すること」について記事を書いていきます。

 

ぼくは去年休学をして主に海外をずっと旅していました。

その時感じたことを、この機会に整理していきたいと思います。

 

 

 

 

 

まず旅ってなんなんでしょうか。

旅行とは違うのか。

 

 

 

ぼく的に旅行っていうと観光とか美味しいもの食べて、友達とはしゃいで、非日常を味わうって感じがします。

 

一方旅は、もっと現地人に近づいた泥臭い感じがします。

非日常というよりは、他人の日常を味わいに行く。

基本自分と向き合う時間が多くて、自分を見つめなおすいい機会になります。

 

ぼくは旅人にたくさん会いましたが、長く一人旅をしている人って独特の雰囲気があります。寂しそうとはまた違う、孤独が熟成された匂いっていうんですかね。

ぼくはあの雰囲気が好きだなぁ。

 

まぁ旅をすることはぼく的には、現地人と接触、現地の建物に潜入、現地のローカル食堂にいくなど、「現地の空気に混ざる行為」と定義させていただきます。

 

 

旅行はあくまで自分らの空気を保ったまま、別の地に赴くのでそこが旅と旅行の違いです。修学旅行生とか大学の卒業旅行の団体とか、団体のおばちゃんとか見ると分かると思いますが、周囲に自分らの見えない壁を張って、その壁の中から旅先を眺めているっていう感じがします。

きれいなものを見るときも常にカメラのレンズ越しに見ています。

 

 

 

さてさて、そんな旅をして現地の空気に混ざると何が良いのか。

 

 

それは世界には同じ時間が流れていて、どこの国の人も普通に暮らしを毎日営んでいるんだといるんだと分かることです。

 

外国に対して何か過剰な期待をしていた僕がいましたが、旅をして思ったのが

なんだ皆自分と同じように毎日生きているんだなということです。

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インドの庶民向け軽食屋さんの兄ちゃん

いい表情。

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偶然バスで知り合った人の友達のバースデーに招待された時に。

幸せそう。

 

 

当たり前といえば当たり前のことなんですが、旅行番組などで華やかなことしか放送しないもんだからなんだか勘違いしていました。

 

 

ぼくはオーストラリアとルーマニアで少し働いたんですが、その時も何か過剰な期待をしていました。

外国で働くってイメージは、こうすごくかっこいい感じがして、甘くみていました。

やってみたら当然仕事は仕事なわけで大変でした。

職を探すのだって一苦労です。

 

 

 

意外と海外に行ってみないとこういう感覚って分からないです。

 

この話を少し拡張すると、芸能人なんかも同じことが言えると思います。

芸能人っていうと、とても華やかで才能があって、自分とは全然違う人って感じがしますが、彼らだって同じ人間です。

華やかなのは一生懸命努力をしているから。

同じように24時間が流れて、ぼくらと同じようにお腹がすいたり風ひいたり恋したりしてるわけです。

 

 

旅をするとそういう自分の勘違いが取れます。

自分以外の人たちを知ることによって、自分と他人の比較ができるようになり、一つ上の視点から物事を眺めることができるようになります。

 

つまり抽象度が上がるんです。

 

これが旅をすることの良さじゃないかなと思います。

 

何事も上達への近道は、まず自分が誤っていることを知ることだと思います。

ですので旅をして、抽象度が上がって、自分の中で誤った考えなどを見つけることが

できればめっけもんじゃないでしょうか。

 

きっと旅から帰ったあとに、その勘違いに気づいたことがきっかけで

大きな変化が起こるんじゃないですかね。