便座 ~ハニーとボクと、時々オトン~
オランダ人はケチだという話はかねがね聞いていた。
そしてそれは本当だった。
オランダ人の女の子と喋っていた時のことだ。
彼女が日本のことについて尋ねてきて、話は日本のトイレの
話に切り替わった。彼女の父親は以前、日本に来たことがあるらしく
彼女に日本のトイレの思い出話をしたそうだ。
「日本のトイレの便座は温まっているんだよ、ハニー」
彼女はぼくに尋ねた。日本のトイレの便座が温まっているのはたまたま
そのトイレが特殊な仕様だったのか、それとも日本全土において
そうなっているのかと。
ぼくは答えた。日本全土においてトイレの便座は温まっていて、それだけじゃなく
ウォシュレットというおしりをシャワーで洗い流してくれる装置まで備わっているんだと。
そして彼女はこう言った。
「いったい便座を温めることになんの意味があるの?私がもしトイレを使ったときに便座が温まっていたら、きっと前の人が長時間座っていたんだなと思って不快な気持ちになるだけだわ。」
ぼくは言葉を失った。
まず、ぼくは温まっている便座にいつも快適さを感じていた。トイレで用を足すときの
あの( ´ー`)フゥー...っていう解放感。その時に感じる便座からの温もり。
これはお風呂に浸かる感覚に似ていて、トイレをただ用を足すためだけの空間ではなく、トイレを安らぎの場として再定義しようという先人の努力の結晶だ。
古くは秀吉の時代から、人が肌に直接触れるものを温めておくというのことは日本では美徳とされてきた。もしこの感覚を日本人が共有していなかったら、秀吉は天下を統一していなかっただろう。そしたら今ある世界はもっと違った形になっていて、ぼくだって生まれていなかったかもしれない。
それを彼女は前の人が長時間座っていたんだなと思って不快な気持ちになるだけだわと一蹴したのだ。
違う。
便座は温まったのではない。
便座はわざわざ温められたのだ。
便座はきみをもてなそうとしたのだ。
その気持ちを彼女は踏みにじってしまった。
そして彼女は便座に込められた温かい思いに気づかぬままに話を思わぬ方向へと発展させた。
「それにあなたの国は人口が何人だっけ?日本全土でその便座を温める機能を廃止したらいったいどれだけの電気代が浮くと思っているの?」
ぼくは驚いた。便座の思いを踏みにじられ、憤りを感じていたのもつかぬ間、このオランダ人の女学生に畏怖の念を抱いた。
彼女はぼくの日本のトイレの話を聞いただけで、日本経済の行く末を論じたのだ。
普通、常人ならばトイレの話を聞いたら誰もがトイレの個室を思い浮かべる。そして思考はその便器を中心に渦巻く一つの宇宙、一つの個室の中に閉じ込められてしまう。しかし、彼女の思考はその個室からはるか上空へと飛び出し、日本全土のトイレを俯瞰したのだ。
一は全。全は一。
トイレ一つにそれだけのお金を投資するということは確かに日本全土で換算すれば相当の金額になるだろう。トイレの便座に対して電気代を払うのはあくまでも個人である。
だから私たちは日本全土の便座の電気代に目を止めたことはないだろう。
しかし、彼女は日本人一人一人が日本人として、日本経済に影響を及ぼしていることをここで示唆したのだ。我々に日本人であることの自覚を促したのだ。
なんという慧眼か。
これがオランダ人の一介の女学生の力なのか。
だとしたらもっと上のレベルの人はどれくらいのケ........