わしなりに考えてみた

まじめなことも、ネタも

君の名は。をなぜつまらないと感じるのか

**君の名は。スターウォーズのネタばれ含む**

 

君の名は。を今更ながら分析していきたいと思います。

やろうやろうと思いつつ、なかなか腰が上がりませんでしたが、先日ベルリンに

旅行した時に、町の歴史ツアーにいったんですね。そこでそのツアーガイドさんが見事で、おかげでベルリンの有名スポットの歴史的な意味を知れてとても有意義な旅になりました。それで感じたのが何かを解説してそのものの意味を教えることって素敵な行為だなと思いました。だって、それを知らなければただ通りすぎていただけかもしれないものが、自分に何か影響を与えるものに変わってしまうわけですから。そのもの自体は変化していないのにただ情報を付与しただけで。これって一種の魔法ですよね。

ということで、今回君の名は。に情報を付与していきたいと思います。

これでもし君の名は。がさらに面白く見れて、また面白く思わなかったって人が、面白いと感じていただかれば幸いです。

 

君の名は。ってすごく面白いって感じた人もいれば全然だったって人もいると思います。この違いはなんなのかっていうと、単純に音楽や絵や表現技法の好き悪しってのもあると思いますが、きっと見ている視点の違いってのが大きいと思います。視点ってどれを選ぶかは個人の自由で正解とかはないのですが、視点一つ変えるだけで印象が180度変わったりします。なので、視点をたくさんもっていれば色々な見方ができて、今までつまらないと思っていたものが面白くなったりします。なので今日は新しい視点を共有したいと思います。

 

 

君の名は。は何を描いた映画なのか。この解釈の違いがこの映画の評価を二分すると思います。

ある人は恋愛がテーマだと言います。ある人は震災がテーマだと言います。

ただ、ぼくは個人的にこの映画のテーマは「使命」であると感じました。

 

この映画の影の主役は宮水家のご神体であり、それが三葉と瀧に糸守町を救うという使命を与えたのです。そしてこの映画はその使命を二人が困難を乗り越えながら遂行して

いく様を描いているのです。

人は潜在意識では自分の使命、生きる意味を探していて、それを成し遂げたいと思っているそうです。なので、使命を描いた映画というのはたいてい人の心を無意識に打ちます。だから君の名はヒットしたんだと思います。スターウォーズなんかもそうですね。

 

この映画の構造を見ていきます。この映画はよくある神話的構造をしています。神話的構造とは、ヒット作品がほぼ必ず有する構造で、遠い昔から人々を魅了してきた構造です。その構造は簡単に言うと以下のようになっています。

 

1.日常の世界

2.冒険への誘い

3.試練1

4.仲間との出会い

5.最大の試練

6.報酬

7.帰路

8.復活

9.帰還

 

(7の帰路のところで主人公は罠にあったりして死んでしまうのですが、奇跡の復活を遂げて帰還するというストーリーです。キリストが処刑された後にイースターの日に復活するみたいな)

 

さらに簡単に言うと、日常にいる主人公がある日冒険に誘われて、なにか使命を帯びます。そして困難に直面して一度は失敗するものの、何かの武器を得てその困難を乗り越え、使命を達成して何か報酬を持ち帰ってくるというストーリーです。桃太郎が鬼ヶ島にいって鬼を退治してお宝を持ち帰ってくるみたいな感じです。

 

君の名は。は主人公が二人いるので複雑ですが、二人で一つと考えれば、

1.普通に高校生活を送っている

2.突然互いに入れ替わりが始まる

3.入れ替わりができなくなる(ティアマト彗星の接近による三葉の死)

4.瀧は三葉を探しに行き、ラーメン屋のおじさんに出会う

5.三葉の死を知り、過去に戻って避難させようとする

6.三葉の父を説得しようとするが失敗

7.三葉と瀧の再会

8.説得に成功

9.街は救われる

10.二人は入れ替わりの記憶を失う

11.街ですれ違い、思い出す

 

完全には上の神話の法則の流れにそっていませんが、だいたいこんな感じです。

 

 

映画の肝は実は最大の試練に直面した時に、それをどう乗り越えていくか(その武器はなんであるか)だったりします。ここが一番盛り上がるシーンだからです。

例えば、スターウォーズだったら最大の試練はダースシディアスとの対決で、そこで親子の愛でダースベイダーが我に返り、シディアスを倒します。

 

君の名は。ではここで二人の愛がその武器になります。最大の試練は三葉の父の説得です。そこで、三葉は瀧と片割れ時に再会した後に父のいるところに全力で走っていきます。けれどその道は長くて、途中で転んでしまって、くじけそうになるわけです。しかし、その時に手のひらに書かれた「好きだ」という文字を見ます。ここで三葉は精神的に回復して、無事父のもとにたどり着くわけです。三葉の目には街を救う使命感+瀧との一体感による強い光が宿っていてそれが説得に繋がりました。

 

ここで瀧のこの好きだという文字を名前を書こうと言ったのにも関わらず書いた行為ですが、ここの解釈がこの映画の評価の明暗をわけると思います。

一見すると、ありきたりなラブストーリーでありそうなきざな行為でむっとするという方もいると思います。ですが、この行為はかなりのファインプレーなのです。この行為は糸守を救うために必須の行為でした。なぜならもし名前を手のひらに書いたらその文字は消えてしまうからです。ケータイの日記の内容が全部消えてしまったことから分かるように、互いの入れ替わりを示唆する証拠を残すと消されてしまうという制限条件が二人の入れ替わりにはあります。おそらく瀧はそのことに気づき、片割れ時が終わってしまったらまた二人は二人のことを忘れてしまうと考えたのです。つまり、いまこのメッセージが二人の間の最後のメッセージになると。そんな中、彼が最も伝えたかったこと、それは好きという気持ちだったわけです。だけど、それを直接言うような雰囲気でもなかったでしょうし、きっと直接言っても記憶から消えてしまうでしょう。だから手のひらに文字として残すことに決めたのです。照れ隠しとして、名前を書こうと偽りながら。

 

もし、瀧が好きだと書いていなかったら、きっと三葉はくじけてしまって父の説得に失敗していたでしょう。つまり、瀧の三葉を思う強い気持ちが、街を彗星から救う結果となったのです。そしてこれはご神体の意思だったわけです。ご神体はこうなるように仕向けていたわけです。ご神体は三葉という女の子と瀧という男の子をわざわざ選び、入れ替わりをさせたわけです。もし三葉とちびまるこちゃんが入れ替わっていたら、二人はただのメル友で終了していたわけでこの奇跡は起きなかったのです。

 

抽象的に言うと、ここで起こった出来事は男性性と女性性の融合です。映画の中では結びと言われてます。これは日本神話の中で特有の考え方で、古くから描かれている事柄です。(女神イザナミ男神イザナギが交わって大地が生まれたという話です)つまり日本人にとっては無意識的に心に響くことなのです。化学では二つの互いにことなる物質を反応させるとその成果物はより安定して、エネルギーを放出します。これは物事全般に言えることで、悟空とベジータフュージョンだったり、坂本の龍馬の薩長同盟だったり、村上春樹海辺のカフカみたいな小説のスタイルだったり、異なる二つを融合させて新しい素晴らしい何かを作ることは日本人にとっては自然で得意としています。そしてこれは日本の誇るべき文化です。君の名は。もその構造を取っています。神話は神様のストーリーなので、日本の宮水のご神体が男性性と女性性の融合により、糸守を救おうと考えたことは極めて自然なことです。

 

瀧の、すきだという文字には、実はこれだけの情報量が内包されてたりします。これを知るときっと君の名は。の見方が変わってくるんじゃないでしょうか。

 

そして最後にぼくの考えを述べると、この映画は愛のすばらしさを表現しようとしたのではなく、人が使命を達成していく様を表現しようとしたのだということです。愛は使命を達成するための重要なパートでしたが、全体を通して言いたかったのは使命であると。ぼくはこの使命を描いた映画大好きです。スターウォーズも大好きです。

 

君の名は。はまだまだ色々面白い側面があるのですが、今日一番言いたかったことは言えたので、この辺で。

 

読んでいただきありがとうございます。