わしなりに考えてみた

まじめなことも、ネタも

誰も教えてくれなかった発音におけるお腹の重要性

どうも!

ケンイチです。

 

今日は英語の発音のコツについて書いていこうと思います。

 

英語の発音って難しいですよね。

学校の先生とかでもちゃんとできている人は少ないです。

 

ぼくがこないだ行ったTOEFLの予備校の先生は、スピーキングの点数は

発音が下手な日本人には無理だから捨てて別のところを伸ばしましょう

と言ってました。

 

でも、これって悲しくないですか??

 

日本人だと本当に発音を上手く言うことは不可能なんでしょうか。

 

発音には答えはありません。なぜならネイティブだって地域によって発音は

違うからです。だからこれが正解だ!っていうのはありません。

ましてネイティブよりもノンネイティブの方が多い今の世の中、ネイティブ的に

発音する意味も薄れています。

 

しかし、発音に癖はあれど、ある程度の水準に達していないと他人に理解してもらうことができません。もし、あなたが全く発音の努力をしなかったら、たとえ英語を喋ってても外国人からしたら日本語でなんか言っているように聞こえるのです。

 

それは単語単位では英語だとしても、もうすこし長い塊で見た場合に日本語に聞こえるからです。

つまり、抑揚だったり声の出し方だったりが完全に日本語のままだと相手に伝わらないです。

 

どうせ英語を話すなら分かりやすくかつカッコよく決めたいですよね。

 

 

現在の学校教育では発音に関してはほとんど教えてもらえません。

書店に売っている発音の本はほとんどが発音記号の説明をし、舌をこう動かせばこの音が出るよというところは教えてくれますが、それ以上のことは教えてくれません。

 

しかし、音の出し方は舌の問題だけではないんです。

 

 

 

私の友達にKさんという人がいました。Kさんは歌を歌うのが好きでとてもいい声を持っています。そしてKさんの話す英語はなんか英語っぽく聞こえるんです。しかし、Kさんは英語の発音記号を理解していません。つまり英語発音における舌の動かし方を理解していません。

私はこれと同じことをONE OK ROCKのタカさんの英語を聞いたときも思いました。

なんかすごい英語っぽいなと。

そしてタカさんは日本語を話すときすらちょっと英語っぽいです。

 

ここで気づきました。この英語っぽさとは何なのかと。

 

その正体は、腹式発声だったのです。腹式発声が生む深い響きが英語っぽさの理由だったのです。Kさんもタカさんも二人とも歌を歌っているからそれが自然と身についていたのです。

 

そしてぼくもそれに気づいてからネットで腹式発声のやり方を調べて練習してみました。そしたらあら不思議。なんかすごく英語っぽくなった。そして英語が喋りやすくなった。

 

これ意外と知られていないことなんですが、淀みなく発音ができると喋りもスムーズになります。喋りって頭の回転だけではなく、どれだけストレスフリーに音を出せるかも関わってきます。音を出すのに苦労をすると、その音を出すために神経を使ってしまい、その分思考に回すエネルギーが減ってしまうからです。

 

もぞもぞ喋っている人って喋りが遅いじゃないですか。もぞもぞ早く喋っている人っていないですよね笑?あれは音を出すのに苦労をしてしまって喋るのに時間がかかっているんです。原因は精神的なものだったり舌の筋肉的なものだったりしますが。

 

 

あと、もう一つなことは抑揚です。文単位で見たときのメロディーです。

日本語はほとんどメロディーがないので、真似するのは難しいですが、実はこれも

腹式発声ができるようになるとやりやすくなるんです。英語の発音は歌に似ているので

歌に適した発声をしていれば自然と音程を作りやすくなるんです。

逆に日本語の発声のまま英語の抑揚を作ろうとすると非常に嘘くさくなります。

この抑揚は海外ドラマをずっと見ていればなんとなく身についてくると思います。

 

 

まとめると英語の発音を習得する上で重要なのは

  • 発音記号の理解
  • 腹式発声の習得
  • 抑揚の習得

 

 

 

 

そして、これらを習得することで、

  • 英語が伝わる
  • 相手の言っていることも分かるようになる
  • 喋りが流暢になる
  • 声自体がよくなる(深みが出て声量も大きくなる)

といった素晴らしいメリットがあります。

 

 

なので発音を日本人だから諦めるというのは非常にもったいなく、効率が悪い学習法と言えます。とくに重要なのは発音を勉強することによりリスニング能力が上がり、リスニング能力が上がれば耳で英語を覚えられるようになるという点です。こうしたら勉強効率は飛躍的に上がります。

 

ですので、この発音の習得も2ヶ月間のコーチングの中で習得してもらいたいです。

 

 

それではまた!

英語学習を加速させるインプットとアウトプットのループ

こんにちは、ケンイチです!

今日はぼくの学習効率を激変させた英語勉強、そして全ての勉強において大切なインプットとアウトプットのループの話をしていこうと思います。

これのおかげで英語だけじゃなくて全ての勉強の効率が上がって、教えてくれたオランダには本当に感謝しています。

 

 

ループ

ループっていうとビジネスの世界ではPDCAサイクルとか制御工学の分野ではフィードバックループなんてものが、仏教では輪廻とかありますが、英語学習においてもループを形成することがとても大切です。ループの本質は自分の行動を振り返り次に活かしていくことです。

 

 

 

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PDCAサイクル

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フィードバックループ

 

 

 

オランダにいた時の英語学習習慣

ぼくがオランダにいた時の英語学習の話をしようと思います。

ぼくは一応入学に必要とされる語学要件は満たしていたものの、やはり入ってみると自分の英語力は全然足りていませんでした。なんかやっているうちに伸びるのかなとも思っていましたが、現実はそうではありませんでした。一学期が終わった頃、たいして向上していない自分の英語力を目にし、英語学習を始めることを決意。

 

ぼくが行ったことはドラマを英語でみること、漫画を英語で読むこと、アカデミックイングリッシュの授業を取ること、言語交換の友達(ぼくが日本語を教え、彼らがぼくに英語を教える)を作ることでした。

 

 

 

 

 

インプットとアウトプットのバランスを見ていくと大体4対1位だったと思います。

 

インプット

インプットの手段として漫画を読むこと、アカデミック英語の授業の予習をすること、ドラマを見ることなどを行っていて、平均して一日2時間くらい計週840分ほど。

 

アウトプット

そしてアウトプットとしては週一回の90分のアカデミック英語の授業、言語交換友達との60分位の会話練習、あとはプライベートで友達と遊ぶ時間3時間ほど、授業のレポート作成など計330分。

 

この習慣を続けていった結果、自分で英語力が伸びたと実感することができました。

そして実際にTOEFLの点数も94から103まで上がりました。

 

 

 

 

 

 

この習慣の何がよかったかと言いますと、まずインプットの質が高かったことです。そしてそのインプットした知識を使える場がちゃんと用意されていたことです。

 

いままで日本で習ったことのなかった日常的な表現をドラマや漫画を通して学ぶことができました。そしてこうした日常的な表現は普段との友達との会話に生かすことができます。また学術的な英語も授業で学ぶことができ、日本では学んだことのなかったフォーマルな英語における特徴(パラフレーズのことだったり、なるべく文で説明するよりも名詞を使った方がいいことだったり)を知ることができました。こうした知識は授業でのレポートを作るときに役立ちました。

 

さらに良かったのは言語交換友達とアカデミックイングリッシュの授業の存在でした。

どちらともぼくの間違いを指摘してくれました。いくらインプットしてもそのインプットの解釈が正しかったかどうかは使ってみて誰かにチェックしてもらわないと分かりません。

 

 

 

こうして意図していたわけではなかったのですが

学ぶ→使う→訂正する→学ぶ

というアウトプットとインプットのサイクルが機能しとても効率的に学習を進めることができました。

 

 

余談ですが、このサイクルがオランダの大学では当然のように全ての教科において行われていました。先生がきちんと生徒の宿題に対して、どこがよくなかったのか、次はどうすればいいのかのフィードバックを与えてくれるのです。

そりゃあ学力が高くなるわけです。

ぼくは日本でそうした丁寧な指導をほとんど受けたことがなかったので衝撃でした。

 

 

 

まとめ

  • 生の英語に触れインプットの質を上げる
  • アウトプットする環境を整える
  • フィードバックをもらう

 

というループ環境の構築をすることがみなさんの英語学習の効率を飛躍的に上げていきます。

そうした環境を作るのは決して簡単なことではありませんが、そうしたお手伝いをぼくはしていきたいと思います。

 

 

それではまた!

 

 

 

 

 

 

英語は帰国子女じゃなくても使えるようになる!

こんにちは、ケンイチです。

 

 

2ヶ月後をめどに英語のコーチング事業を始めようと思っています。

今日はなぜコーチング事業をやりたいと思うようになったかを、大学に入学してから今に至るまでの過程を通して伝えていきたいと思います。

 

大学入学から現在まで

まず大学1年生の時、ぼくはたくさんの留学生に会いました。

それまで外国人と会える機会はほとんどなかったため、

ぼくは彼らに興味津々で、英語を話せるようになって

彼らとコミュニケーションを取りたい!と思うようになりました。

 

それから毎週開かれていた外国人と日本人が会話をする会に出席するように

しました。けれどそこで得たものと言えば`、相手の言っていることが全然わからないという大きな挫折感のみでした。

自分は英語の成績は学校ではいい方だったのですが、学校で学んだことは

ほとんど実際の会話において役に立たないことを思い知らされました。

 

それからどうすれば英語力を伸ばせるかと試行錯誤し、アニメと漫画を英語で

見始めました。それが功を奏してか、3ヶ月くらいたってから分かりやすい英語を話してくれる人の言っていることは分かるという状態になりました。

 

ぼくは3年生になったら世界一周に出ようと決めていたため、2年生の時はたくさんバイトをしました。そのためバイトと勉強で忙しくなり、あまり英語を勉強する時間のないままに3年生になりました。

そして休学をして、バックパッカーの旅に1年間出ました。

 

まず始めにフィリピンの語学学校に2ヶ月間留学して、英会話の基礎を

学びました。それらは今思えば非常に基礎的なことなのですが、日本の学校では

一度も教えてもらったことのなかったことでした。

その後は、オーストラリアの農場で2ヶ月間ワーキングホリデーを行い、そして旅をスタートさせました。そしてフィリピンで学んだ基礎表現が旅の中で花開き、気がつけば旅の終盤ではノンネイティブの人とはコミュニケーションが普通に取れている!という状態になりました。

また旅の最後にはルーマニアのゲストハウスで受付のアルバイトをすることになり、はじめて英語を使った仕事も行いました。

 

帰国後はまた普通に外国人と交流しながらも日本で学生生活を送っていたのですが、大学で一年過ごして4年生になった時に、また海外に行きたいと思い、大学院1年生になったらオランダのデルフト工科大学に1年間留学をすることにしました。

4年生の時は大学院入試でTOEFL IBTを受講する必要があったため、TOEFLの勉強を行い、受験して留学に必要だった点数を取ることに成功しました。

 

そして大学院1年生になり、オランダに出発しました。

留学当初はやはり自分のリスニング力とスピーキング力が全く足りていない状態でした。オランダの大学ではグループワークがとても多く、英語で意見を述べなければならないシーンが多くありました。また、みんながとても速く話し、たくさんの国から留学生が来ているため訛りもありました。

 

こういった要因から会話についていけず、最初はグループの中で空気となってしまいました。しかし、他のメンバーは互いの言っていることをちゃんと理解しあっていて滑らかに議論しています。それはつまり、明らかにぼくの英語力が劣っているということを示していました。今まで自分なりに勉強してきて英語力を上げてきたつもりでしたが、まだ一つ大きなレベルの違いがぼくと彼らの間にありました。

 

 

ぼくは他の留学生とぼくとの間の英語力の違いを目の当たりにし、いったい何が彼らとぼくらで違うんだろうと思い、彼らにどうやって勉強をしてきたのかを尋ねました。

 

すると、彼らは共通して幼少期から英語に触れ続けてていたことが分かりました。(テレビを英語で見てた、英語を話す授業が昔からあったなど)

 

つまり、日常の中に生の英語をインプットする機会があり、またそれをアウトプットするチャンスも学校であり、そしてそれを10年以上は続けているということでした。

 

それを聞くと日本ではそのどちらも用意されていないことに気づきました。

 

ということで、ぼくも自分でそういったインプットとアウトプットの仕組みづくりを作ってみることにしました。インプットの手段としてネットフリックスを契約し、毎日フレンズという海外ドラマを毎日見るようにし、英語での漫画の読書も開始しました。

 

一年生の時も同様の勉強をしていましたが、今回はアニメではなく、ドラマを見ることでより生の英語に触れられるようにしました。また、以前は日本語で読んだことのある漫画を英語で読んでいたのですが、今回は読んだことのない漫画を英語で読んでみる試みを行いました。

 

アウトプットの手段としては、言語交換のパートナーを見つけ、週一回1時間ほど英語で会話をするチャンスを設けました。

 

こうした努力の結果、半年ほど経ってから英語力に質的な違いが生まれました。日本語をいっさい介することなく英語のみで思考することができるようになったのです。

 

今までのぼくは頭の中での意見の構築は日本語で行っており、それを英語に翻訳していました。そのため、難しい長い説明をしなければならない時にかなり苦労していました。(英語と日本語の語順が違うために説明の順序が異なるから)

 

これは多くの英語を話せる日本人も行っていることだと思います。また、ノートも日本語でとったり、辞書も英和辞典を使っていました。

 

しかし、生の英語に触れていく中で自然と英語を英語のみで理解することができるようになり、頭の中での意見の構築も英語でできるようになりました。これにより、スムーズに話せるようになり、相手が言っていることも速くても分かるようになりました。辞書も英英辞典に切り替え、そちらの方が自然に思えるようになりました。

 

そして留学終盤では明らかにリスニング能力とスピーキング能力が向上しグループワークに支障が出なくなりました。また、友達からも英語がとても上手になったねと言われました。

 

そして今年9月に日本に帰国して英語の学習成果を測るため、TOEFL IBTを再受験しました。出発前の点数は94点だったのですが、帰国後は103点に上がりました(120点満点)。

100点という点数はアメリカの名門のハーバードやスタンフォード大学に入学するための必要要件となっています。

 

こうして大学に入学してからフィリピン留学や旅、アニメ、漫画、ドラマ、オランダ留学など色々トライして、はじめは受験英語しか使えない状態から、アメリカの名門大学に入学するために必要な英語力を得ることができました。

 

ぼくが大学に入ってからの6年間の英語学習で感じたのは正しいインプットとアウトプットの習慣が構築されていれば、英語力は必ず伸びるということです。英語を流暢に使える留学生たちはその習慣を持っていました。そして今のぼくの英語力はもし最初からその習慣を持っていたら、おそらく1年半ほどで到達できるものでした。

 

 

 

 

日本の英語教育の問題点

日本の英語教育の問題は、受験英語の教育に傾き、本質的な英語能力の向上に焦点を向けていないことです。そして英語を教える教員もろくに英語を使えないことです。

みなさんはなぜTOEICが生まれたかご存知ですか? TOEICができる前からTOEFLという試験が存在しているのですが、TOEFLはスピーキングとライティングも含んでおり、TOEICと比べるとはるかに難しいため、普通の日本人には太刀打ちができない状態になっています。そのため、日本がTOEFLを作っている会社に日本人でもそこそこ解けるテストを作って欲しいと依頼し、リーディングとリスニングのみのTOEICが生まれたのです。

そしてこの簡単なTOEICの点数を日本の企業は英語力の指標として採用しています。

しかし、考えてみれば明らかですが、スピーキングとライティングを評価しないテストで英語力を測れるはずがありません。つまり、日本は受験、就職を含め、国の評価基準がおかしいため、いつまでたっても日本人の英語力が伸びないのです。

 

 

そのため、学校の教育方針が大体的に変わらないかぎりは学校に頼って英語力を伸ばすことは不可能であり、自分で何かしらの努力をする必要があります。

 

その努力の一つとしてネイティブの英会話教室がありますが、英会話教室は細かい表現の習得には繋がりますが、英語における本質的な考え方を教えてはくれません。テキストがあって、そのテキストをちょっとずつ進めていくことが英会話教室で行われていることです。しかし、一週間に数時間の英会話教室に通ったところで得られるものはたかがしれてますし、英会話の費用のことも考えれば英会話スクールに通うことは持続可能な習慣とも言えません。

 

つまり、現在日本には学校でもビシネス現場でも本当に英語能力向上に繋がるサービスは用意されておらず、それらに頼らない何かを自分で行っていく必要があります。

 

オランダで受けた衝撃

私が留学していたデルフト工科大学では日本人留学生は5人しかいませんでした。インド人や中国人は何百人もいた中でです。ぼくはここで日本人の英語力がいかに劣っているのかを目の当たりにし、危機感を覚えました。

また、オランダ人の英語力の高さにも驚きました。オランダは世界で一番TOEFL

IBTの平均得点が高い国です。オランダ語と英語が似ていることもありますが、小学生の段階で英語を喋れる子も多いことに驚きました。

それも全てオランダの教育習慣によるものです。

 

そしてぼくは帰国子女ではなく、大学に入ってから英語を苦労して話せるようになった経験者として、英語学習者を助けていきたいと思うようになりました。そして何よりほとんど無意味なTOEIC勉強や文法の授業から脱却して本当に英語を使えるようになってほしいと思っています。

 

 

 

 

ぼくにできること

そしてそのためにぼくが考えているのが英語学習の習慣作りをサポートすることです。いったんインプットとアウトプットの習慣ができれば、みなさんがみなさんのペースでぼくのサポートが終わったあとも勉強することができるようになるからです。

 

今の英語教育市場で行われているのは、いわゆる魚の釣り方を教えることであり、ぼくがやろうとしていることは釣竿の作り方を教えることです。

 

今はモニターを募集してコーチングの内容を固めている段階です。

2ヶ月後を目安に初めていこうと考えています。

 

また、ぼくが得た楽しみながら英語を学んでいくノウハウをブログを通して今後みなさんにシェアしていこうと思います。最後に、英語は帰国子女じゃなくても使えるようになります!

それではまた!

 

 

英語は学ばず,遊んで覚える

こんにちは!1年間のオランダ留学から帰ってきたケンイチです.

海外に行って,外国語学習のメソッドを色々と学んでくることができたので

それを使って英語学習コーチングビジネスを始めようと考えている今日この頃です.

 

その第一歩として,今日は僕が学んだ楽しく学べる英語学習のコツを紹介しようと思います!

 

 

 

 

ポリシー

英語は勉強するな!遊んで覚えよう!

 

これはぼくが外国語を流暢に使える人に何人か会って,気づいたことです.

英語が苦手な人は,英語学習に対してマイナスイメージがあると思います.

その状態のまま,勉強をしてもエネルギーが消耗してしまい,長続きしません.

英語学習は長期戦です.少なくとも一年は続けないとしっかりした効果が出ません.

だから継続的に学習を続けられる仕組み作りが大切です.

 

そのための方針がそもそも英語を勉強しないということです.英語を趣味の中に取り入れるのです.たとえば,ぼくが出会った日本語ペラペラのルーマニア人の女の子は日本語の授業を受けたことは一度もないそうです.彼女はアニメオタクで,アニメを見続けた結果日本語が喋れるようになったとか.そしてぼくもそれを真似した結果,英語力が伸びました.

 

勉強ではなく遊びにすることでエネルギー循環が起きます.通常なら英語を勉強したあとは疲れてしまい,しばらく休憩して体力を回復しないといけません.しかし,それがただ好きなアニメを見ているだけだったならば,アニメを見ることで元気になり,もっと続きが見たいと思います.それにより自発的に学習時間を増やしていくサイクルができます.

こうしたサイクルを作っていくことがぼくが提唱する英語学習のやり方です.

 

 

英語学習メソッド

では,具体的にどうすればいいか?

ぼくは次の3つを推奨します.

 

まずシットコムというのはアメリカのコメディードラマのことです.シットコムのいいところは短い枠の中で,つねに誰かが喋っているため効率的にリスニング力を鍛えられる点です.映画とかだと2時間も時間を確保するのはまず難しいですし,誰も喋っていないシーンが多いため,あまり効率的ではありません.その点,シットコムは一話30分ほどなので,日々の習慣の中に組み込みやすいです.

おすすめはFriendsです.Friendsはアメリカで最も人気なシットコムの一つで,その和訳にトライしている日本人も多いことから教材として最適です.NetFlixなら英字幕も和字幕もつけられるので,まず英字幕から始めて,難しかったら和字幕からみ始めてみるといいと思います.

 

ぼくがおすすめするやり方は,とりあえず毎日見ることに専念し,知らない表現をメモって覚えるとかそういった勉強チックなことは後回しにすることです.ただただ見るのをたのしみましょう.知らない表現はささっとググって意味だけ確認しましょう.

もしそれが頻出表現ならもう一回どっかのエピソードで出てくるはずなので自動的に覚えられるはずです.

 

アメリカのドラマを見ることでリスニング力の向上,ボキャブラリーの蓄積,およびスピーキング能力の向上に繋がります.

 

  • 漫画を英語で読む

次に,漫画を英語で読むことでかなりリーディング能力が上がります.おすすめは自分の知っている漫画を英語で読み直してみること.これとNetFlixにより英語における会話表現をそうとう学ぶことができます.

学校ではフォーマルな英語しか教えてもらえなっかたので,フォーマルとカジュアルの表現の違いがよく分かるようになります.

このウェブサイトで漫画を英語で読めるのでおすすめです.

https://manganelo.com

 

  • 英語で本を読む

次に英語で本を読むですが,絵がない分これは上記の二つに比べると難易度が上がります.漫画より本派の人はトライしてみてください.文学的な表現を学びたい方にはおすすめです.kindleに無料の古い英語の本がたくさんあるのでそちらがおすすめです.

 

 

以上,上記3つの方法により生の英語をインプットできるようになります!

英語能力を向上させたい方はこれらを毎日生活に取り入れてみてください~

オランダに来てみてコラム

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世界遺産キンデルダイクの風車

 

 

オランダに来てから11ヶ月が経過した。

当初は文化の違いに非常に苦労した。

どう違うかというと個人主義が非常に強いという点でだ。

大学入学当初にあったオリエンテーションで、各国が

どれだけ集団主義か、個人主義かのグラフを見せられた。

そこでオランダはほぼ個人主義トップに君臨していて、日本は

ダントツで集団主義が強いのかと思ったら意外と真ん中くらい

だったのを覚えている。

 

個人主義が強いというのは例えばみんながみんな物事に対して

意見を明確に持っていてその意見を上手に口にすることに慣れている。

大学の授業ではそうした意見を表明しなければならない場面が多く

それができないと空気な存在になってしまう。

自分はそもそも興味のないものに対して意見など持ってないし、持っていた

としてもそれを上手く形にできない。

しかも英語ならなおさらだ。ということで最初は苦労した。

オランダの大学はグループワークが非常に多いため、自分の意見を相手に

伝えなけらばならない場面は本当に多い。

 

けれど、グループワークをこなしていくうちに段々と意見をいうことには

慣れてきた。このグループワークというのはオランダのオランダらしさが詰まっている

ので、もう少し詳しく触れていく。そしてそれ以外の面白い点にも触れていく。

 

  • グループワーク

日本でも授業でグループワークをすることはある、というか昔から学校での行事とか

掃除とか、そういったところからグループワークをグループワークと意識せずにこなしてきている。ただ、オランダのグループワークは日本のものとは質的に異なっている。

なんというか、個人が共通の目標を持っているがゆえに短期的に集い、課題を分担して解決していく行為といった感じか。

日本的な集団意識、連帯感みたいのはない。なんというか俺たち一年A組!みたいのはない。オランダ人の友達に聞いたけど、学校行事も日本みたいなクラス対抗の合唱祭とか文化祭とか体育祭もなく、部活もないため、つよく集団意識や連帯感を感じる場面はあまり無いのだという。

とにかく合理的な効率的に終わらせようと感じがあり、だらだらと仕事をすることが無い。これはいい面ではあるが、逆に1+1=2的な思考であり、1+1=10になるようなグループワークならではの相乗効果のようなものが起こる気配はない。

そういう意味で、日本のグループワークは無駄が多いかもしれないが、逆に集団に多くの時間をつぎこむ事である種のミラクルが起きる可能性を内包しているような感じがする。

 

オランダでは子供の頃からディベートの練習を学校でするらしい。それはディベートという自分の意見を論理的に表明する行為が個人主義のオランダにとっては必須のスキルだからだろう。最初に述べた通り、皆んなが皆んな意見を持っていて、かつそれを形にするのが上手い。これがキチンとできないとコミュニケーションが上手く成立しないのである。日本ではコミュニケーションの質は聞き手がどれだけ上手な質問を繰り出し相槌を打つかに依存するように思えるが、オランダでは話し手がどれだけ分かりやすく伝えられるかがコミュニケーションを左右する。これは日本人にとってはかなりストレスになる。なぜなら、普段僕たちが省略しているような事まで話さないといけないからだ。なんかあれだよねみたいな便利な言葉は使えない。

この技術はまだまだ不足しているが、当初よりはマシになったように思える。

英語の上達とともに自分の意見を形にするのは上手くなったように思える。

なぜなら英語は結論を先に言う言語であり、つまり結論が見えていないと話せないのである。英語を言語として使うことは自分の中の意見を整理することにつながる。すこし話が横道にそれてしまったが、つまりディベートをすることにより自分の中の意見がはっきりする。それによって自分の意見を他人にもわかってもらえ、自分の考えてることもよく分かるようになる一石二鳥である。だからディベートをすることは個人として他人に認めてもらえるし、自分が物事に対して意見を持てるようにもなるしでオランダでは大事なのだろう。

日本だとこういう技術を学ぶ機会はないので、ここで少しでも経験できたことは良かった。

 

  • アウトプット文化

先のディベート文化に由来してか、この国のアウトプット文化もまた凄い。どういうことかというと、頭の中のアイデアをアイデアとして終わらせようとせずに形にしていこうという傾向が強いのだ。例えば、大学の授業ではプロジェクト形式のものが多く、与えられた課題を解決するためのプロダクトをグループで考え、それをプロトタイプとして実際に制作して、それをプレゼンするのだ。実際に会社で製品開発をするプロセスと一緒だ。非常に実践的である。知識をインプットしたら必ずそれをアウトプットする。そうすることでその知識が頭に定着する。こういった考えのもとに国全体でカリキュラムがデザインされているのは素晴らしいと思う。この文化のためか、オランダでは起業をする学生が多い。このアウトプット文化に触れられたのはこの留学で一番の収穫かもしれない。僕は日本の教育に対して、ずっと疑問を持っていて、どういう疑問かというと、なぜアウトプットさせてくれないんだ。なんで学んだ知識を使って何かを作ったりしないんだ。という疑問だ。

ぼくはスポーツメーカーに入って、スポーツ用品の設計をしたいと思い工学部に入学したのだが、いつまでたっても数式を学ぶだけでその数式を現実の製品設計にどう活かせばいいのかということに関しては教えてもらえなかった。しかし、それをオランダに来てようやく教えてもらえた。いや、教えてもらえてはないが、アウトプットする機会を与えられ、それにより自分で勝手に学んだという感じか。アウトプットを通してインプットをしたと言えるかもしれない。

今まで受け身でいた自分に気づいた。実は自分が主体的に動けば、物事が解決することもある。今の時代、何かについて知りたければ、youtubeで検索すれば以外と見つかる。とくに英語でなら本当にたくさんの情報が見つかる。解析ソフトの使い方からギターの弾き方まで。

それに、何か作りたいものがあり、例えば靴を作りたければ、そしてその作り方が分からないのであれば、いまある靴を解体すればいい。そしてその解剖図を手にすればいい。答えを待たずに自分から動く。完璧じゃなくていいからやってみる。そうした中で学べるものがある。こうした考えがオランダにはデフォルトで浸透しているように感じた。クリエイティブで自発的な国民性だ。

 

  • 学校の位置付け

オランダでは学校は将来一人前に働けるようになるためのスキルを学ぶ機関という位置付けらしい。当たり前のことを言っているように聞こえるが、多くの国で学校はなんとなく皆んなが行かなければならない場所になっているように思う。学校で学んだことの大半はべつに社会にでてから使わないというのが大半ではないだろうか。けれどオランダでは、本当に使える知識を学べるようにアウトプットをさせるし、グループワークをさせるし、ディベートもさせる。コミュニケーション能力、学習能力、創造性。数式とかを学ぶのはもちろんだが、その過程を工夫することによって上記の能力が学べるようになっている。日本の大学ではテストが終わったら習ったことは忘れるというのが常だが、こっちは宿題が本当に多くて、たくさんの関連論文を読んだり、プログラムを書いて自分で計算したりしてとても頭を使うので知識が定着する。日本でプログラミングの授業以外でプログラムを書いたことはなかったし、論文を研究以外で読まされたこともなかった。こっちに来てたくさんの工学系のソフトの使い方、論文を読むことの面白さを学べた。

授業は日本みたいな座学の授業もあるが、大半は答えの無い系の授業だ。ある社会に存在する問題に対して、自分だったらどう解決するのかを論理的に説明するタイプの授業だ。たとえば、ぼくのとった授業の一つでは、従来よりもエネルギー効率のいい乗り物を自然界から着想して考えよというものがあった。ぼくらのグループは魚から着想してエンジンなどなしで川の流れの力だけで川を横断する乗り物を考えた。こういった感じの授業が多い。必然的に創造性が磨かれ、自分の意見を形にすることに抵抗がなくなってくる。自分でも以外とできるんだと思えるようになってくる。

 

  • チャリ、食、ファッション文化

オランダといえば、大麻と風俗とチューリップという印象だったが、チャリがすごいことを知った。どう凄いかと言うと、国民が平均一台以上のチャリを保有してて、みんなチャリで通学するのだ。国土全体にチャリ専用道があり、国土がフラットなことも影響して本当に自転車が暮らしやすい社会。国会議員もチャリ通勤らしい。

ぼくの通学路は運河沿いで30分ほどずーと一直線で信号もほとんどない。その運河を横目に自転車で風を感じるのは本当に綺麗な瞬間で、皆んなに一度利用してみることをおすすめしたい。

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通学路に住んでるアヒル一家

食に関しては悲しいくらいに質素。芋とチーズが主。本当にそればっか。食文化と呼べるほどの食のレパートリーはなく、驚いた。食を発達させることにエネルギーを割かなかったらしい。ファッションに関しても同様ですごくこだわりがない。ジーパンにTシャツが多く、店はH&MとMANGOばっか。男、女ともに着飾っている人が少ない。

食とファッションにこれほど関心が無い国ははじめてだったので驚いた。

その分、教育とかお金を生み出すものにはたくさんのエネルギーを注いでいるのだろう。オランダ人は合理的でケチということで有名なので割り切っているんだろう。

 

  • まとめ

いろいろ述べましたが、とても綺麗な街並みできさくな人々のいる国です。教育のレベルはほんとうに高いので留学するのはおすすめですよ。ぼくはオランダのことは一ミリもしらずにたまたま学びたい学科がそこにあったから来ただけだったんですが、来てよかったです。

 

 

30周年だし、B'z がいかに凄いかについて。

経歴 

 

「B’z」の画像検索結果

http://donsok.com/archives/21131895.html

B'zは今年結成30周年を迎える日本を代表するロックバンドで、ギター、作曲担当の松本孝弘(56)とボーカル、作詞担当の稲葉浩志(53)の二人とその他サポートメンバーから成り立っている。日本で最も多くのCDの売上を誇り(約8200万枚)、また日本最大のファン数約65万人を抱えている。また、アジアのミュージシャンで初めてロック界に多大な貢献をしたバンドが表彰されるハリウッドロックウォークに殿堂入りしたバンドである。ギター担当の松本孝弘はラリーカールトンとコラボしたアルバムで2015年にグラミー賞を受賞した。老舗音楽番組のミュージックステーションでは別格の扱いを受けており、他のミュージシャンがすべて録音した音声でパフォーマンスするのに対し、B'zは生の演奏をしている(回によっては声は生だが演奏は録音の場合もある)。また、年末スペシャルなどではない普通の回にもかかわらず、3曲同時に一つの回で演奏を行ったこともある。また、ミュージックステーションのオープニングソングは松本孝弘によって書かれた。これらの華々しい経歴はB'zのパフォーマンスのレベルの高さを裏付けるものとなっている。また、ボーカルの稲葉さんは高校時代に全国模試で数学で全国3位になったことがあるほどの秀才で、横浜国立大学教育学部を卒業し、数学の教育免許をもっている。そんな稲葉さんの作る歌詞にはちらほらとベクトルや摩擦係数などの数学、物理用語が飛び出したりする。また、稲葉さんのストイックさはそのストイックさでもよく知られ、特に喉の管理は徹底している。禁煙はもちろん、真夏でも基本的に鍋を食べたり、冷房はつけず、扉は締め切り加湿器を回し徹底的に湿度を管理している。

 

歌詞

次にB'zの音楽の内容の方を紹介したい。稲葉さんはもはやぼくの国語の先生だといっても過言ではない。ぼくはB'zに出会う前は歌を単純に音として聞いていた。つまりピアノの演奏を聞くのも、歌を聞くのもぼくには同じようなことだった。しかし、B'zの曲はぼくに歌詞を読むことの大切さを教えてくれた。稲葉さんは作詞の天才である。イケメンで歌がうまくて、努力家で頭がいいだけでなく、作詞も神がかっている。ぼくは稲葉さんの詩を読むことを通して、言葉の美しさを知り、言葉で何かを表現することの楽しさを知った。それは国語の授業で学んだどの有名な詩よりもより深く心に残った。きっと、声も演奏もあいまってよりその詩が立体的になるからだろう。そして稲葉さんは教科書に乗るような詩人に負けないくらい詩人なのだ。稲葉さんの言葉の選択が絶妙であることはもちろん、その表現する内容も安っぽいものはなく、どれも説得力がある。常に一流として前線に立ち続けてきた稲葉さんだからこその経験が詩に反映されている。ぼくは辛い時はいつもB'zの曲を聞いて自分を励ましていた。大きな決断を迫られたときに、B'zの曲を聞いてリスクの大きな道に踏み切った。B'zの音楽はするめのようであり、聞けば聞くほどに味が出てくるものが多い。いいかえれば最初は分からなかった歌詞の意味が人生経験を積むうちに分かるようになったり、あまり好きでなかった陽気な軽いメロディーが実はとても辛い立場にいる人を励ますための歌詞を引き立てるためにあえてそう作られていることに気づいたり。こういった作品のするめ性は、いかにその作品が丹念に作り込まれているかを示している。いい映画は一回見ただけでその凄さを感じるものの、全ての要素を理解することはできない。何回も見ることで新しい発見をして、それでようやくその全貌が見えてくる。B'zの曲もそんな性質を有している。歌は、その作詞家、作曲家の人生経験を反映するものだ。B'zは一貫して自分達で音楽を作り続けているので、彼らの30年間に及ぶ音楽を聞くことは彼らの30年間の人生を体験することにほかならない。これが一つのバンドに傾倒することの利点だろう。あるバンドの新しいアルバムを聴くことはいわば映画の続編を見るような感覚だ。最近は、特定の好きなバンドを持たずにヒット曲をとりあえず流し聞きする人も増えているが、その聞き方ではその曲の深さは理解することはできないだろう。なぜならある曲にはそれが出来上がるまでの背景がある、つまり作り手の経験があるからだ。そのアーティストの一連の作品を聞くことによって彼らの歩んできた道だったり、その作曲当時の感情だったりを深く理解することで初めて見えてくるものがあったりする。話がややそれてしまったが、要するにぼくはB'zの音楽を中学生の頃から聞いており、それにより彼らの生き様、哲学に共感し、感化され今に至る。B'zは僕の人生の先生なのだ、いわば。そこまでメッセージ性のある曲作りをできるアーティストはなかなかいないと思う。B'zの音楽は娯楽を超えたところにある。一流なのだ。実際に、B'zの詩の一節を紹介したいと思う。少しでも興味を持つ方がいたら、ぜひ曲の方も聞いてみてもらいたい。

 

言葉ひとつ足りないくらいで

笑顔ひとつ忘れただけで 

ほんの少しのすれ違いだけで 

全部諦めてしまうのか

愛されるばかりが能じゃないだろう

さぁ見つけるんだ 僕たちのHOME

 

 98年にリリースされたHOMEという曲の一節。この97~98年の時期はどの曲も哀愁が漂う退廃的な空気が漂う時期なのだが、この曲は一際哀愁が漂っている。この曲は稲葉さんの離婚であったり、親交のあった勝新太郎さんの死であったり、B'zの音楽性が大幅に変化して、以前のファンが離れたりとたくさんの別れがあった時期に書かれた。 <div ">この歌詞のメッセージは自分と相手の両方に対して訴えているように感じる。稲葉さんは当時売れに売れて忙しくて、結婚したばかりの奥さんと過ごす時間はかなり少なかったのだと思う。そんな忙しい時に、ちょっとしたことで喧嘩になってしまったりして、だけどそれを許容するだけの心の余裕がなくて。どうして自分のことを分かってくれないんだって思って、つまりもっと愛してくれって思って。でも、そこで愛されるばかりが能じゃないだろう。相手を自分から愛しにいこうと訴えてる。自分達が本当に分かり合える地点を見つけようと呼びかけている。だけど結局稲葉さんは離婚してしまった。この曲は過去の自分に向かって言葉を投げかけている。そしてそう考えると最後のさぁ見つけるんだ僕たちのHOMEという一説が悲しくて仕方がない。それはまるで主人公が初めから死ぬと分かっている戦争映画を見ているような、分かっているからこその悲しさだ。一つ一つの努力が、主人公が分かり合おうとしている行為が、健気で仕方がなく、どこか退廃的なメロディーとあいまってどうしようもなく同情してしまう。

 
 
それでは次の歌詞を紹介したい。
 
一人ずつみんな歩いてるこの街で

いつの日かあなたと  

会えるならそれは素晴らしい事件

月の照らすMy lonely town

 

2009年にリリースされたMy lonely townという曲の一説。言葉のセンスが絶妙だ。街とは人の心の比喩で、一人ずつみんな歩いてるこの街とは、人が皆孤独な心を抱えて生きている様を示している。自分もまた孤独に生きているのだが、もしあなとといつしか分かり合えたら、あなたが私の街に来てくれたら、それは私の街にとっては素晴らしい事件なんだと。事件というネガティブなイメージを想起させる言葉を素晴らしいとくっつけるセンスが抜群。街を比喩として用いたから、出来事を事件という言葉におきかえているのもすごい。そして事件という言葉のおかげで、きっと自分の孤独な心を大きく揺るがし、新しい自分になれるくらいあなたが愛しいんだと伝わってくる。そして月の照らすMy lonely town。月は詩の世界では人の心を照らす描写として例えば山月記なんかでも出てくる。稲葉さんの歌詞はたいてい表面的な意味と比喩的な意味の二重の意味があり、どちらで読んでも不自然にならないようにできている。世の中にはなんの含みもないダイレクトすぎる歌詞や、ぎゃくに抽象的すぎてよく分からないものがあったりするが、稲葉さんはその辺をきちんとしている。この歌詞で言えば、街であなたと会えるなら、それは事件である。月がこの街を照らしている。というのが表面的な意味である。比喩的な意味としては、あなたと分かり合えるなら、孤独な私は救われる。孤独な様が月がこの街を照らしているという表現で強調されている。こういった詩を読むときの一種謎解きのような楽しさを稲葉さんの詩はぼくに教えてくれた。これがB'zの歌がするめ性を有するひとつの由縁でもある。流し聞いただけでは分からないものがB'zの音楽には確実にある。
 
B'zの名歌詞は山のようにあるのですが、今回は個人的に好きな歌詞を紹介させてもらいました。
この記事を通してB'zの音楽に興味を持ってもらったり、歌詞を読むことに興味を持ってくださった方がいたら幸いです。

フランス日記

テストが終わり、一週間の束の間の休みに入ったのでフランス一週間の旅に行ってきた。
やはりフランスはいいよなぁ。
学問の都合でオランダに来たけど、本当はオランダじゃなくてフランスに来たかったから、こうして休暇中にフランスに来れるのはとても嬉しい。
幸い、以前東北大学に留学していたフランス人と今フランスに留学している日本人の友達もフランスにいるし、彼らと時間を過ごせたのもよかった。


ご飯が美味しい。パン屋が外れがなくて、いつもパン屋に行ってしまう。朝食や昼食にサンドイッチをよく食べた。バゲットに生ハムやチーズやトマトなどを挟んだ、野菜がシャキッと外側はカリッと、中はモチっと、生ハムはペロっとしたサンドイッチは日本ではなかなかない美味しさ。シンプルな料理だけど、素材がいいもんだから美味しい。それに合わせてコーヒーを飲むのがとても落ち着く。夜にはワインや美味しいチーズが待っている。
街歩きに疲れたときにケーキ屋さんに入ってケーキを食べてひと休憩するのもまた楽しい。ケーキ屋さんは日本のコンビニとまではいかないが、そこら中にある。
なんだかこのスタイルは非常に女子な感じだけど、フランスに来るとみんな女子になるんじゃないかな。日本ではケーキを食ベることなんて誕生日くらいしかないけれど、フランスではなんせ美味しいもんだから毎日のように食べていた。

フランス人もいい人ばかりだし、何よりあのフランス語の音が好きだ。お店に入るとボンジュール,ムッシューといわれるのがとても新鮮で、そういうムッシューとかマダムとかの敬称をつける挨拶って飛行機の中でくらいしかされたことがなかったから、なんかこそばゆい。
でもフランスに来たなって感じがして嬉しい。
京都のお店ではおいでやすって言われて、その響きがいらっしゃいませの比にならないほど好きだけれど、なんかそういう地域限定の挨拶をされると違う世界に来たという感じがして、嬉しい。

街は古い建物でいっぱいで味がある。街がああいうアンティークな雰囲気が漂ってるから、人の着こなしもクラシックなシンプルな感じになっていくんだと思う。
あのバロック建築がとても好きで、クリーム色とくすんだシルバーの色使いの淡さが最高だ。

空の色がそもそも淡い。フランスの絵画にまさに描かれているようなパステルカラーのきれいな空だった。どうしてフランスの絵はあんなに素敵な色使いなんだろうと思っていたけど、あれは空の色がもともとそういう色なんだと知って納得した。
空の色に合わせて街の色も淡くなったんだと思う。

日本文化はフランスでかなり受け入れられていて、いままでいったヨーロッパの国の中で一番日本文化が浸透していたように感じた。
日本食や漫画、アニメが人気で、フランス人と普通にアニメの話ができるのは嬉しい。
イタリアに行ったときは本当に一部の有名なアニメのドラゴンボールキャプテン翼ぐらいしか浸透してなくて、なかなかいったいどうしたことかと思ったけど。
フランス人のアニメ好きの人に聞いたら、フランスは世界で初めて日本からアニメを購入した国らしく、それはまだアニメが世界的に受け入れられる前だったから、アニメを格安価格で日本からたくさん購入できたらしい。
ゆえに、フランス人はアニメに親しみがあるらしい。他国は日本のアニメが高騰したあとにアニメを購入することになったからそこまで浸透していないのだとか。

たしかにそれはそうかもしれないが、そもそもフランスが他国に先んじてアニメを購入しようとしたこと自体、すごいことである、
つまり、最初から日本文化にシンパシーを感じていたから購入したんだろう。

蚤市にも日本の骨董品があったりした。

フランスの空の色と日本の空の色は少し違うけれど、どちらも淡い色合いという点では一緒だ。ぼくの個人的な見解だが、空の色は人の心を決める。イタリア、スペインなんかは空の色が真っ青で、光がとても眩しくて、だから人も陽気で、街の色も派手な色になるんだと思う。

フランスと日本は空の色が似ているという点で、いくつか通じ合うものがあるのだろう。
だからフランスも日本もシンプルを良しとするという哲学を擁していて、だけど若干違うテイストで。
人は自分と似ているものか、違うものに惹かれ合う。フランスと日本の間柄は、似ているが、少しアプローチが違う。似ていてかつ違う。だから惹かれるんだと思う。

食の多様性や料理における装飾性にまで拘るところなんかは本当に似ていると思う。



以下、サラッと訪れた都市のまとめ。

リール
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フランス北部の大都市。
ベルギーに近いので、ベルギー文化のビールやフレンチフライなんかがあるちょっと変わった都市。大きい都市だけど、見どころは中心部に集中してて徒歩で回れる観光しやすい都市だった。

コルマール
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フランス東部の街。あまりメジャーな観光地ではないが、ハウルの動く城の冒頭の街のモデルとなったと言われる街で、旧市街の家々はひたすらに可愛い。たしかにハウル感はあった。訪れたのが冬だったので若干閑散とした感じがあったが、夏の時期に色とりどりの花々と晴れ空があれば一層ムードが増すと思われる。
お店の看板が全部凝った金属の工芸品でそれがまたいい。

リヨン
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フランス南東部の大都市で、美食の街として知られる。パリが東京ならリヨンは大阪らしい。大都市だからなんでも揃うが、パリほどのせかせかした忙しさはないので住みやすそう。街の中心にはソーヌ川が流れていて、近隣諸国の大都市との間に位置していることもあいまって交通の要所となった。絹織物が盛んで、スカーフなんかは名産品としてよく見かけた。
美食の街らしいが、結局パン屋さんばかり行っていたので、その神髄を知ることはなかった。パン屋さんはフランス全土に渡って美味い。